メンタルヘルスブログ

うつ、社会不安、アダルトチルドレン、パニック、自律神経失調 、10年闘病しながらなんとか生き方を模索する日記です。

メンタルヘルス改善項目

ちょっと愚痴が続きました。

前に書いた愚痴の内容、同僚の派遣さんをランチに誘って相談したら被害妄想というか、思い込みでは?と言われました。

私のものの見方がやや穿ってるみたいです。

元々思い込み激しいとこあるんですけど改めてこういう気づきは凄く有難いな。


あとは、前は出来なかった、人に相談する、や、ができるようになったのは大いなる進歩だなぁと感じます。

まだ自分の感情整理して喋るの上手くないけど。一歩一歩って感じです。



良くない日記ばっかり続いてたので、精神疾患の改善に効果があった内容を今日は書きます。


①自分を否定する人から離れて、明るく肯定的な人のそばに行く

自分の好きな物、自分のこと、否定する傾向があったら、親であっても縁切った方がいい、

自分で自分が肯定できて好きなことするの楽しいです


②瞑想

これは10年病気して初めて最近知ったんですけど誰か本当に早く教えといてよ!!って思います。

効かないしょうもない向精神薬よりよっぽど効果あります。おちつき、集中力、忍耐力がつきます。瞑想いうても静かなとこで楽な体位で目を閉じて鼻から空気吸って口から息を吐くだけ。初めはなんか宗教ぽくて怖かったんですけど、慣れてきてコンディションいいと30~40分やってると無になる境地があるんでそこまでいくと楽しいです。

自律神経失調にも効果がある気がします。

iPhoneアプリに寝たまんまヨガってやつがあってこれは寝たまま出来るしわかりやすいので一部有料サービスですけどおすすめ。

*がっつり欝の時にやると統合失調症傾向出やすいそうなので体調見ながらのんびりやるのがベスト


③ペット(特に犬)

たまたま縁あって私は欝治りさしの頃に家で犬引き取ることになりました。

犬は本当に性格いい子だとと懐いて延々無償の愛をくれます、凄い。今アイコンにしてる犬です。

アホだけどそれすらかわいい。

猫でも愛は感じられると思うんですけど

犬は1日最低1回絶対散歩行かないと行けないので、引きこもってても毎日2~3km歩きました。これが体にすごく良く、体調が整う実感ありました。


④サウナ

これは有名な発達障害ブロガーさんが仰ってたんですけど、サウナが多動や感覚過敏等の発達障害傾向に効果あるとのこと。

私はそこまで分からないんですが自律神経失調と、風邪は確実にサウナと水風呂のコンボで治せます。

自律神経失調が治ることで総合的に体調良くなるし、不眠も治るので万能感あります。

私のやり方は限界までサウナにいて、水風呂3~5分、これを、3セットで大体体調万全になります。

スーパー銭湯の近所に住みたい。


⑤適切な睡眠と朝の日光を浴びること

私が最も出来て無いやつです…でもこれを、おろそかにすると体調のがたつきを感じます。昼位に起きてきて薬飲むのと、朝起きて同じ量の同じ薬を飲むのとで効果が違います。

あと睡眠不足は即疲労感になって欝と直結するから寝れない時は睡眠薬飲んででも寝たほうがいい、殆どの精神薬は効果ないと思ってるクチですけど睡眠薬は意味あると思う。





あとは、他人に何を言われても好きなものを大事にするとかかな


生き方って色々あって私も偉そうに書いてるけどもし行き詰まって同しようもなくなったら障害年金とって引きこもるのも一つの手段かなと思うし、利用できるものは全部利用して生きていけばいいと思います。

人生は我慢しなかったら面白いし、

我慢しないこととワガママはイコールじゃないような気がしています。

明日も楽しく生きていけますように。


愚痴日記

嫌われるのもうどうでもええわになると少し冷静になって
逆に誰に嫌われるとガチでやばいのか見えてきた、
私の場合課長とその取り巻きにの上のクラスに嫌われたからかなり詰んでるんだなって自覚はある。
ちなみに受付女子にもよくない噂流されてるから追い討ちだし
新しい派遣さんの歓迎会ハブられた模様(?)

傷つきはするけど、まぁ人としてそういうことするんですね~って感想しか出ないかな…
あとは次の職場で今回みたいなパターンを起こさないためにどう生かすか、かなぁ?

元気だし、あ、そうですかって感じで死にたいとは思わないけど、ただ単に疲れた。
日本は村社会だから、一旦外れるともうレッテル貼りが凄い凄い。
喋ったこと無い人にいつの間にか嫌われるとかザラすぎる。
んで身動きがんじがらめにされるパターン疲れたなぁ。
最近は普通になりたいって言うより自由に生きたい。んでそれを咎められない社会がほしい。

普通に生きてるだけで人と仲良く慣れないパターン多すぎる。
変わっててても力があれば良いんだけどこれアダルト・チルドレンにはきつい。


もうこんだけ文明発達段階してるんだからあと独りでも生きれるライフパターンみたいなの確立されてもいいよなと思う。
株で生計とか引きこもりとかじゃない健全なやつ。


肥溜めフィクション日記

これから書く話はフィクションです、
と前置きしておくんですけど。

とある職場において、スタッフのモンスターペアレントが大暴れしたことがありました。
これが完全に発達障害由来のやつで、アダルト・チルドレン及び自己愛性人格障害をこじらせてしまった人で
した。
うちの〇〇ちゃんをこんなにいじめて!!やめさせます!!
と突然その子を連れて帰って、
後日もアポ無しで敷地内に来て親族を連れて大声を出す、暴れる、
残業代が一円単位でおかしいから説明しろと何度も何度も勝手にこっちの店に来る、店に鬼電して説明しろ、代表を出せと言い張る(給与はクリーンというかむしろそのスタッフ自体には感謝してたから多めに出ていた)し、
裁判か警察かという寸前でなんとか縁が切れたんですけど(なんやかんや金取られたけど…)

ぱっとみ普通のお母さん(というか見た目かなり綺麗な方)なんですけど
もう本当頭が完全にアレな人でむちゃくちゃ心身へつられて大変でした。

後日そのスタッフは同業種の別のところで勤務したのを聞いたんですけど
先日、また母親がうちの〇〇ちゃんをこんなにいじめて!!と代表にくってかかってやめさせたという話を聞いて、
もう本当に言いたくないけど子供を不幸にしている自覚がなくどん底の不幸にする母親、生きてて迷惑しかかけない人が世の中にどうしてもいると、思いました。

このお話で本当にかわいそうなのは、金を取られた経営側と見せかけて、本当はやめさせられたスタッフその子自身です。
母親は完全に自己愛性人格障害及び発達障害こじらせてたけど、多分スタッフの方は、ほぼ健常に近いグレーゾーンだったと見受けられました。
多分健全な家庭で育ったら健全に育ってたタイプと思います。

まぁ以上の話はフィクションなんですけどね!!


結局何かと言うと今私も同様の発達障害由来のタイプの母親の対応に困っています。
この手の母親は無意識に子供を利用するんですが、私も30年生きて、フィクションみたいな話もありーので、初めて最近精神的に利用されてたことに気づきました。

んで大体無意識で利用するので、利用してる方もされた側もわからないまま自分の感情が行方不明になっていく最悪のパターンです。

解決策は自力で気づいて努力で、自分の善性を信じて脱出していくしかないんですが、そこでまた
そ~はさせないのがまた毒親です。
私がこんなに辛いのにお前だけ幸せになるのか!!なにかあるとすぐ嫉妬に狂って無意識で圧迫してくるので

結果として、親を大事にしなくては、という健全性に思える思考は1度捨てて、縁切ってリセットするしか手段ないんですよ。

私は進学で家を出たときとで第一段階、
嫁に行った時で第二段階で
干渉を徐々に受けなくなってきてはいるんですが
それでも時折ラインしたり電話してきたりする。
もうなんか最近呪いのラインみたいに思えてくる。
おえ…
あんまり無視すると親族間のヒビにもなるので適当に相手はしないとなんですが…どのレベルまで無視しておっけーかな…と悩んでいます。すっげ~地獄…

私は割と友達が健全な方で、母親が嫉妬してくると言った時にまじで?!って言われたのであっ普通はちゃうんやな…と思ってあんまり友達には相談できんのでここで呟くんですけど…あ~あ、めんどい。

なんか辞めてったスタッフみたいな子がここを読んでくれて、ああ、自分で母親を裏切っていかないと行けない、と気づいてくれたらまぁこんな肥溜め日記にも価値が生まれるんですけど…

アダルト・チルドレンほんと大変ですけど頑張りましょう…




毎日一年生

前回ヘビーな内容書いてしまったんで引く人いそうと思いながら

まだまだ吐いてこうと思います。

自分が無意識の領域に押し込んでる感情を引っ張り出すのって意味があるなと感じるので。

アダルト・チルドレンは本当に自分の感情わからなくなってるので解決策すらわからないところが多く、目に見えていないものを可視化するという行為が自虐に見えて自分への癒しの一歩だったりするなと思っています。


三連休、旦那の実家に親族が集まってて、義姉のとこの姪と遊んだり、ご飯したり、義母の誕生日でケーキ食ったりしてたんですが

旦那の親族は基本仲が良く繋がりがつよいので、

なんかあったらすーぐ集まるんですけど、

見ててウワーと思うことが沢山あります、

いい意味で。


3歳までに安心感や安全基地を得られるか得られないかがアダルト・チルドレンの境目みたいな話めっちゃ聞くんですけど

私の場合記憶あんまないし物心ついてからの恨み(?だいぶ冷めたけど)がつよいので足し算引き算の具合がよくわからないし、取り返しもつかないのでもうどうでもいいです。


ただ、旦那の家族見てると、

何かあった時に絶対に帰れる場所があるって凄い強みだと思いました。

助けて欲しいっていったときに助けてもらえる、信頼出来る相手がいる、これは言葉以上に凄いことだぞ…と。

そりゃ依代がなかった自分と他人に大きな溝が空いてもしゃーないわ。

なんとなく感覚でいうと、アダルト・チルドレンが竹槍で戦おうとしてるところに対して、普通の人は銃器持ってる感じです。強い人だとガトリング砲の人とかもいる。

無理。勝負ならんやん。


私は欝じゃない元気な時でもいい意味でも悪い意味でも自分しか信じてなくて、結局世の中で信じられるのって自分だけでは…?と思ってるところがあって、これは頭が発達障害様相があるせいだろうと思ってましたが、

要因の1つとして、単に安心感のある人間関係を知らないだけでした。


女同士で愚痴を吐いたり、喋ったりする、これ私むっっちゃ嫌いだったんですけど、

相手に共感性を示し連帯感を持つという、硬く、自分でわかりやすい言葉で言えば、必要確認行為やったんや…とこの年で目が覚めました。


愚痴は嫌いだし(これはいずれにしても必要最低限でいいとおもうけど)

雑談も苦手ですけど、喋るのが嫌い、は少しましになってきています。


これは不幸自慢でなく事実としてなんですけと母にアスペルガー傾向があって殆ど共感されたことが無いのですが、やったことない見たことないから私そもそも他人への共感性の示し方がわからない。

ただ、ああ、人ののやり方を見て猿真似はできるのではと思っています。


人といる空間は苦痛ではあるし、はちゃめちゃに人間関係ダメだなと思うけど、

有名な発達障害ブロガーさんの言葉で人生はトライアンドエラーって言われてて最近それを噛み締めながら

都度都度、毎日すげえ学びだなーと人間一年生は思っています。




雑記

思い出したついでに、そういえば確か

小学校4年生の時にごく真剣に死のうとしたことがありました

でも死に方わからんし怖いから、当時大好きだった本を抱えてこころのお守りみたいにして

包丁だけ持って腹に向けたんだけどどうしても怖くて

ぷにょって先っちょ当てただけ終わってしまって、数秒経って

ああ、死ぬことすらできないのか、と思ってめちゃくちゃ泣いた。

ことを思い出しました。

客観的に見て小学校四年生でこれはかなり精神状態が健全じゃないと思うし、

この時点で多分もうすでに鬱傾向出てるし、

これで周りに助ける大人がいないというのも問題だと思う。

あと同じこと中学校2年生でもやらかそうとして同じく未遂で終わった。

今は大丈夫かとか、すぐなんでも相談しようとしてくれる旦那の親族や義母がいて、

ああこれが家族なんだなあとありがたく思っているんですけど

核家族化の弊害って絶対ある気がします。

うちは母方の祖母が血がつながっておらず、

父方の祖母、祖父が早逝したので家庭が母の牙城になっていたことにも問題があるように思う。

健全な家庭とは何でしょうか。

3連休で旦那方の親族が集まる中、いろんな人間関係の在り方について考えます。

 

 

 

 

真剣になりすぎることと真実に近づくことは同義ではない

いそがしいのでブログ書けてません、

人間関係は結構いけてません。

泉谷閑示先生の「普通という名の病」読んでます。

いい本です。また感想書きます。

 

しんどいことは結構あるけど

人生にいい時と悪い時の差が絶対あって

私は鬱になる前の私には戻れないけど、

結局生きづらさは生まれてこの方ずっと一緒だったんだから

いい機会だったのかもしれないとは思います。

あとその人自身の運気。これも結構あるからそれに応じた応用。

あとは死にたいなーはまだ結構ちょいちょいあるけど

まあ死ななくてもええやんという概念に

たどり着いてから少し楽になりました。

結局、親自身すら無自覚に子供(私)を利用してたから仕方ないよねーと。

私が●●しなくてはいけないは、別に全然する必要がないことだったということ。

私は私の好きや、嫌いや、楽しいをもっと大事にしてもよかったこと。

(それをフォローする力がたまたま親になかったこと)

楽しんじゃいけないは、間違った洗脳だったこと。

笑ってごまかしてもいいこと。

何をしゃべってもいいこと。

親を見捨てる勇気がいるということ。

自分で自分の人生に責任を持ち歩くということ(そしてそれが楽しいということ)

ありがとうと思える人が身近にいること。

何があっても最後には自分をゆるして肯定する。

列挙してみると生きてる全部が学びだと思います。

 

 

あとは私は村上春樹のファンをむかし長いことしていたんですがノルウェイの森の一説に

「真剣になりすぎることと真実に近づくことは同義ではない、と僕はわかっていたので」

という一文を心に留めていたの忘れていました。

そうそう、真剣になりすぎることはなんにも正解じゃない。

いろんなことを思いながら生きています

 

うつは治るものではなく第二の誕生

http://diamond.jp/articles/-/1556?page=1&display=b

ビジネスパーソンのための身体と心を考える

DIAMOND男の健康というサイトから


うつは治るものではなく第二の誕生、ということが仏教の他力と自力ということばをつかって書かれています。


うつ治りかけの身としては本当にその通りだと思います。

よくうつの治療についての書籍やサイトコラムなんかでもかかれていますが、

諦めに近い感覚でうつは寛解するのがベストみたいな書かれ方をすることが多いのですが

このサイトは仏教の観念ベースで淡々とかかれているのでネガティブな気持ちにならずに読めます。


自分を否定せずに改めること(そしてその難しく、嬉しいこと)を思い知らされる気持ちです。