人間の土地
思ったより早く学校の説明が終わったので連投します
最近考えている事です。
どのような人間性であれ、
自分が自力でどのような人間で、どういう特性があり、
あらゆる人とどう関わっていくかについて、普通の人は、幼少~中高生くらいまでのあいだに親、それでなくとも集団生活の対人中で学ぶものなんだと。最近理解しました。
私はその期間、母親の精神介護をやっていて、自分の感情を置き去りにするか、殺すしかなかったし、
今から学習し直そうとしている。
これは大きすぎるハンデだと思います。
私自身に集団生活が死ぬほど苦手と言うのが幼少期からあったので、全てが親のせいとは言えないにしろ、
集団生活が苦手なら、それを見立てて1人で生きていくスキルを、身につけなくてはいけなかったし、
その指導をしてほしかったとは思う。
学生時代の思い出といえば、
今だから言えるんですが
読書感想文は母親が本を選び、全部書き上げて、近畿圏の大きな賞を取りました。
自由研究は母親がほぼ作成し、数回県展まで行きました。
家庭科の課題で作った巾着は全部解かれて、この縫い目ではいい点数は貰えないと
全部綺麗に縫い直され、家庭科の評価をもらいました。
自分がなくて、不安で、気だけ強くて、
少しでもなにかの評価がほしかった母は私の学校のものを使って、内申書の為と言い、私からあらゆるものを奪っていました。その奪ったモノの中に、自発的感情、というものも含まれていたように思います。
あまり私には小~高の記憶がありません、
あってもいいものはひとつもなかった、と思います。
こんな感じだったので外での対人コミュニケーションをどうにかしよう、とか自分の活かせる特性はどこかな、とか探すまもなく、半分、死にかけのカカシみたいなもんだったんだと思います。
旦那と結婚し、働いて社会に出て、
良い方々に出会い、やっと自力でなんとかしなければ、という意識が出てきたのが32歳。
ここから全てが人生を取り返す為の勉強だなと思います。
その為に薬でもなんでも利用できるものは全て感謝しながら利用したい。
嫁に行った後、母へ娘は遠くにやるもんじゃないわ、と嘆いているらしいですが、ゾッとします。
あのまま利用され続けてたら廃人まっしぐらだっただろうな、と思います。
生きているのは毎日きついです。
人といるとどんなに頑張ってても私は表情が死んでいるらしくて、
緊張も伝わってしまって対人は上手くいかないし、雑談も難しいし、言葉もうまく出てこない。
憎しみはある、疲労感もある、
できることなら、私も1回死んで
精神肉体虐待を受けておらず、
理由のない、底知れない不安を感じなくてもいい、普通の人生を歩んでみたいと泣く度に思っています。
でもそれは最終手段として取っておいて、
それでもトライアンドエラーで
学習はできる、
1万回やって、そのうち成功した1回を強化するしかないのだろうと思います。
人間をやるために、毎日、戦いだと思います。