毎日一年生
前回ヘビーな内容書いてしまったんで引く人いそうと思いながら
まだまだ吐いてこうと思います。
自分が無意識の領域に押し込んでる感情を引っ張り出すのって意味があるなと感じるので。
アダルト・チルドレンは本当に自分の感情わからなくなってるので解決策すらわからないところが多く、目に見えていないものを可視化するという行為が自虐に見えて自分への癒しの一歩だったりするなと思っています。
三連休、旦那の実家に親族が集まってて、義姉のとこの姪と遊んだり、ご飯したり、義母の誕生日でケーキ食ったりしてたんですが
旦那の親族は基本仲が良く繋がりがつよいので、
なんかあったらすーぐ集まるんですけど、
見ててウワーと思うことが沢山あります、
いい意味で。
3歳までに安心感や安全基地を得られるか得られないかがアダルト・チルドレンの境目みたいな話めっちゃ聞くんですけど
私の場合記憶あんまないし物心ついてからの恨み(?だいぶ冷めたけど)がつよいので足し算引き算の具合がよくわからないし、取り返しもつかないのでもうどうでもいいです。
ただ、旦那の家族見てると、
何かあった時に絶対に帰れる場所があるって凄い強みだと思いました。
助けて欲しいっていったときに助けてもらえる、信頼出来る相手がいる、これは言葉以上に凄いことだぞ…と。
そりゃ依代がなかった自分と他人に大きな溝が空いてもしゃーないわ。
なんとなく感覚でいうと、アダルト・チルドレンが竹槍で戦おうとしてるところに対して、普通の人は銃器持ってる感じです。強い人だとガトリング砲の人とかもいる。
無理。勝負ならんやん。
私は欝じゃない元気な時でもいい意味でも悪い意味でも自分しか信じてなくて、結局世の中で信じられるのって自分だけでは…?と思ってるところがあって、これは頭が発達障害様相があるせいだろうと思ってましたが、
要因の1つとして、単に安心感のある人間関係を知らないだけでした。
女同士で愚痴を吐いたり、喋ったりする、これ私むっっちゃ嫌いだったんですけど、
相手に共感性を示し連帯感を持つという、硬く、自分でわかりやすい言葉で言えば、必要確認行為やったんや…とこの年で目が覚めました。
愚痴は嫌いだし(これはいずれにしても必要最低限でいいとおもうけど)
雑談も苦手ですけど、喋るのが嫌い、は少しましになってきています。
これは不幸自慢でなく事実としてなんですけと母にアスペルガー傾向があって殆ど共感されたことが無いのですが、やったことない見たことないから私そもそも他人への共感性の示し方がわからない。
ただ、ああ、人ののやり方を見て猿真似はできるのではと思っています。
人といる空間は苦痛ではあるし、はちゃめちゃに人間関係ダメだなと思うけど、
有名な発達障害ブロガーさんの言葉で人生はトライアンドエラーって言われてて最近それを噛み締めながら
都度都度、毎日すげえ学びだなーと人間一年生は思っています。