真剣になりすぎることと真実に近づくことは同義ではない
いそがしいのでブログ書けてません、
人間関係は結構いけてません。
泉谷閑示先生の「普通という名の病」読んでます。
いい本です。また感想書きます。
しんどいことは結構あるけど
人生にいい時と悪い時の差が絶対あって
私は鬱になる前の私には戻れないけど、
結局生きづらさは生まれてこの方ずっと一緒だったんだから
いい機会だったのかもしれないとは思います。
あとその人自身の運気。これも結構あるからそれに応じた応用。
あとは死にたいなーはまだ結構ちょいちょいあるけど
まあ死ななくてもええやんという概念に
たどり着いてから少し楽になりました。
結局、親自身すら無自覚に子供(私)を利用してたから仕方ないよねーと。
私が●●しなくてはいけないは、別に全然する必要がないことだったということ。
私は私の好きや、嫌いや、楽しいをもっと大事にしてもよかったこと。
(それをフォローする力がたまたま親になかったこと)
楽しんじゃいけないは、間違った洗脳だったこと。
笑ってごまかしてもいいこと。
何をしゃべってもいいこと。
親を見捨てる勇気がいるということ。
自分で自分の人生に責任を持ち歩くということ(そしてそれが楽しいということ)
ありがとうと思える人が身近にいること。
何があっても最後には自分をゆるして肯定する。
列挙してみると生きてる全部が学びだと思います。
あとは私は村上春樹のファンをむかし長いことしていたんですがノルウェイの森の一説に
「真剣になりすぎることと真実に近づくことは同義ではない、と僕はわかっていたので」
という一文を心に留めていたの忘れていました。
そうそう、真剣になりすぎることはなんにも正解じゃない。
いろんなことを思いながら生きています